日本自動車連盟(JAF)加盟クラブ J.A.C. (10003)
クラブ概要 ヒストリー 赤城氷上 RALLY LINK
RALLY
上州オートクラブ(JAC)のラリーへの歴史は古く、1963年「第5回日本アルペンラリー」
に代表の「小関 典幸」がスバル450で参加したのが始まりです。
その後、1972年まで多くのJACメンバーが国内ラリーに参戦し、スバル車にとって歴史
に残る成績を残してきました。

1973年、アジアンラリーとしてのフィリピンラリーにJACメンバーの一人、「吉本 裕」が
スバルレオーネ(A33)で初参戦をきっかけに、「SUBARU MOTOR SPORT GROUP」が
発足し、JACメンバーの海外活動をSMSGとしてスタートしました。
SMSGには多くの有名ドライバーも所属し、SMSGチームとしてラリーに参加したドライ
バーはマルクアレン・ポッサムボーン・アリバタネン・コリンマクレー・リチャードバーンズな
どその後WRCの場で活躍したメンバーが数多く在籍しています。

1980年、ケニヤで開催されている「第29回サファリラリー」にSMSGはスバルレオーネ
を持ち込み、スバルでのサファリ挑戦が始まり、1989年までの約10年間参戦を続け、SMSGのプライベート参戦ながら数々の好成績を残してきました。
1990年、スバルからレガシーが発売されたと同時に、その年からのサファリ参戦はSTI
とSMSGの共同参加となりました。またこの年初めて全国のスバルディーラーメカニック
(デメカ)を集め、参戦となり、現在でも「スバルラリーチームジャパン」として、富士重工に
より継続されています。

SMSGではアジアのラリーにも積極的に参戦し、オーストラリア・ニュージーランド・マレ
ーシア・他に数多くSMSGメンバーが参戦し、JACメンバーの中でも海外ラリーへ参加
希望のメンバーを集め手軽に海外ラリーへの参加ができるよう努力してきました。
特に、1993年より「APRCラリーofマレーシア」にはスバルビビオを数多く参戦させ、多
くのクラブ員が海外ラリーを手軽に体験する事ができ、その後のラリー活動に大きな影響
と知識を得る事ができました。

上州オートクラブではラリーへの参加だけではなく、ラリーの開催も積極的に行いました。
1987年より、赤城氷上をスペシャルステージとして、赤城山周辺でのラリーを4年間
続けて開催し、1990年からは「全日本ラリー選手権 モントレー」を群馬県内のラリー
クラブと協力して開催、1992年「大清水モントレー’92」を群馬県片品村、東村をメイン
ステージとして開催しました。2日間の2ステージ制のラリーで多くの観客を集めて開催
しましたが、とてもハードなラリーのため、多くのリタイア車が続出したラリーでした。
リタイアした参加者の中には「路面が悪い」との指摘やクレームが多く、競技成績に納得
できずに、表彰式のボイコットや、JAF(日本自動車連盟)のモータースポーツ中央審査
委員会に対し提訴する参加者が続出、全日本ラリーオーガナイザーの難しさを痛感させ
られると同時に、日本のラリーの将来性に不安を抱く経験をしたラリー開催でした。
その後の「全日本ラリーモントレー」はJAFより大きな問題を残したJAC主催は認められ
ず、群馬県内の他クラブの主催へと移行していきました。

その後、JACでは、ラリーの初心者からベテランまで共に手軽に楽しめるラリーを開催し
ようと、Aクラスラリー(1000cc以下の車両)を春と秋に年2回開催し始めました。
1991年初めての開催当時は日本を代表するドライバーも数多く参加し話題を集めていました。現在WRCなどで活躍中の「新井敏弘選手」も当時学生で、参加していました。
Aクラスラリーは1999年まで連続して開催され、また、関東や甲信越のラリークラブの
協力によりシリーズ化され、多くの若手ラリードライバーを誕生させていきました。

現在、クラブ員の多くはラリーの現役から離れていますが、一部の有志達により、全日本
ラリーや群馬県近郊で開催されるラリーの大会役員、や競技役員、オフィシャルという立
場で競技運営に携わっています。
また、2007年始めて開催された群馬県嬬恋村での「BICC Snow & Ice Rally 2007」
企画運営、コース制作、などラリーの中枢をコントロールする役員をJACメンバーで構成
し開催され、今後も続けて開催してきます。

第8回日本アルペンラリー 小関典幸第3位


’90年サファリ レガシーグループN優勝 中央が小関監督


大清水 モントレー’92 の公式プログラム

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